日本における異性婚じゃなければ認めない重圧は、小学校の教室から始まってる。(同性婚賛成派)

同性婚、早くできるようになって欲しい。

私、主婦であり大学生の親でもあるんですけど、自分の経験から思うに、日本における異性婚じゃなければ認めない重圧は、小学校の教室から始まってる。

うちの子が小2の時の担任の先生が、男女で隣同士の席にする先生で、ちょっとしたストレスを感じておりました。

 

小3から小6まで毎年、担任の先生に言い続けました、「先生、隣同士の席で男子の隣は女子、女子の隣は男子。って言うのは小学校が教えてはいけない事ではないでしょうか?」と。

 

小学校が、二人掛けの席を定めて、異性同士ペアを座らせていたら、それ以外の組み合わせは認めない許せないと世の中が言ってるように見えて、ものすごく抵抗を感じたんです。この児童生徒時代の刷り込みで、見えない場所で心を痛めてる人が相当数居るのでは?と保護者として初めてPTAに行った日に思いました。

もっと言ってしまうと今の同性カップルの生きにくさは、昭和平成の日本の大人たちが作ったものです。

 

私は小学校の時、いつも先生の決めた男子と隣の席が嫌でした。「女子であるからには男子とつがいになっておけ」的な先生の思想を感じて。先生に異を唱えるPTA会員や地域の人達も誰もいなかったんです。憤懣やるかたない。もしも私が女性の恋人を連れてきたら、きっと、「間違い、やり直し」と言う人達だったんじゃないだろうか?と思うのです。ここの溝は大きくて、私はここら辺の人達と仲良くなるのを、はるか昔に諦めてしまいましたが。

 

明確に、「独身同士であれば誰が誰の事、好きでも別に良いよね!」と思ったのは、ある有名男性歌手が夜中に年下男子と違法な薬を使って逮捕された事件がきっかけでした。

OLのお昼休憩で「年下の友達とクスリやって捕まるってウケる」と同僚達が話してるところに「まず夜中の3時に一緒に薬やってる人は恋人じゃない?この話がいかんのは、大人の男が二十歳ちょい過ぎの若い子を巻き込んで一緒に薬やってた所であって、男が男と付き合ってても良いわ!人を好きになるのに間違いなんて無くない?」と熱弁する私の声がまあまあの勢いで響くオフィス。

今なんか静かになったよね、何気なくこの部屋の男性陣も聞いていらしたようですが、まあ良いのです。私が私の考え方に、整理が付いた瞬間の昔話。

「恋人かもしれない。。。昼休み終わるから歯みがきしよっか。」こんな感じで解散。

 

この歌手は薬は止めて今もちゃんと歌手をしていますが、この時一緒だった人は何年か前、また逮捕されてしまいました。一度だけでも薬はダメ。止めるの難しいから。

つづくかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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